アートを通じた共感の深化:中学校における多文化共生ワークショップ事例
SEL(社会的・情動的学習)教育において、共感は他者との健全な関係性を築き、多様な社会で生きる上で不可欠なスキルとされています。特に、異なる文化的背景を持つ人々が共存する現代社会において、共感力の育成は教育現場の重要な課題です。本稿では、中学校で実施されたアートを活用した多文化共生ワークショップの事例を紹介し、アートが共感力の深化にどのように貢献したかを考察します。
SEL教育における共感の意義とアートの可能性
共感とは、他者の感情や経験を理解し、それに寄り添う能力を指します。SELの枠組みでは「社会的認識」の重要な要素の一つとして位置づけられています。共感力が高まることで、いじめの防止、協調性の向上、多様性の受容といったポジティブな効果が期待できます。
アートは、言葉だけでは伝えにくい感情や思考を非言語的に表現する手段を提供します。作品制作のプロセスや、完成した作品を鑑賞し対話する経験を通じて、自己認識を深めるとともに、他者の多様な視点や感情に触れる機会が生まれます。これにより、論理的思考だけでは到達しにくい深いレベルでの共感形成が促されると考えられています。
事例紹介:港区立彩虹中学校「共感のパッチワーク・プロジェクト」
港区立彩虹中学校では、多様な文化的背景を持つ生徒が在籍しており、相互理解と共生意識の醸成が課題となっていました。この課題に対し、2023年9月から11月にかけて、中学2年生を対象に「共感のパッチワーク・プロジェクト」と題したアートワークショップが実施されました。本プロジェクトは、学校の教員と地域のNPO法人に所属するアートセラピストが連携し、企画・運営されました。
1. プロジェクトの目的と対象
- 目的: 生徒間の共感力を育み、多様な文化的背景への理解を深めること。自己表現の機会を提供し、自己肯定感を高めること。
- 対象: 中学2年生 98名(各クラス24〜25名の4クラス)
- 期間: 週1回90分、計8回(2ヶ月間)
2. プログラム内容とプロセス
プロジェクトは以下のステップで進行しました。
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導入とオリエンテーション(1回目):
- アートセラピストが共感の概念と多様性について、簡単なアクティビティを交えて説明しました。
- プロジェクトの全体像を共有し、生徒が安心して自己開示できる「安全な場」の重要性を伝えました。
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「私のルーツ」表現アート(2〜3回目):
- 生徒各自が自身の家族、歴史、文化、そして「自分らしさ」を象徴する要素を、コラージュ、絵画、粘土細工、オブジェ制作など、多様な素材と技法を用いて表現しました。
- 画材や素材は多岐にわたり、生徒は自由に選択できるよう用意されました。
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作品の共有と対話(4〜5回目):
- 完成した個々の作品をグループ内で共有し、それぞれの作品に込められた思いやストーリーを語り合いました。
- アートセラピストと教員は、傾聴の姿勢を促し、「〇〇さんの作品を見て、どんなことを感じますか?」「この色や形には、どんな意味が込められていますか?」といったオープンな質問を通じて、深い対話が生まれるようファシリテーションを行いました。
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「共感のパッチワーク」協働制作(6〜7回目):
- 各グループのメンバーが、それぞれの個人作品を組み合わせ、一つの大きな共同作品「共感のパッチワーク」を制作しました。これは、多様な個性が集まり、一つの調和した全体を創り出すことを象徴しています。
- 生徒たちは、どの作品をどのように配置するか、全体のテーマをどう表現するかを議論し、協力して制作を進めました。意見の相違が生じた際には、話し合いを通じて解決策を見出すプロセスが重視されました。
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発表と振り返り(8回目):
- 完成した共同作品は校内に展示され、各グループが作品に込めたメッセージや制作プロセスで感じたことを発表しました。
- プロジェクト全体の振り返りとして、共感や多様性に対する理解が深まった点、コミュニケーションの変化などを、ジャーナリングやグループディスカッションを通じて言語化しました。
3. プロジェクトの工夫点とSELへの効果
このプロジェクトには、SELスキル、特に共感(社会的認識)と関係性スキルを育むための綿密な工夫が凝らされていました。
- 非言語表現の活用: 言葉だけでは表現しにくい複雑な感情や文化的背景をアートを通じて表現することで、生徒は深いレベルでの自己開示を経験しました。同時に、他者の作品からその内面を「感じる」機会を得ることで、共感の入り口が開かれました。
- 安全で受容的な場の構築: アートセラピストが主導し、教員がサポートする形で、生徒が安心して自分の感情や作品を表現し、他者の多様性を受け入れられる心理的安全な環境が継続的に維持されました。
- 積極的な対話の促進: 作品を媒介とした対話は、単なる情報交換に留まらず、他者の視点や感情に対する深い洞察を促しました。「なぜこの色を選んだのですか」「作品のこの部分から、〇〇さんの強い気持ちが伝わってきます」といった問いかけは、自己認識と言語化能力、そして他者理解を深める助けとなりました。
- 協働制作のプロセス: 個々の作品を組み合わせ、一つの共同作品を創り出すプロセスは、関係性スキルを育む上で極めて有効でした。生徒たちは、意見の調整、役割分担、課題解決を協働して行う中で、多様性を尊重し、共通の目標に向かって協力する姿勢を実践的に学びました。
- 教員とアート専門家の連携: 教員は生徒の日頃の様子や学習状況を理解しているため、生徒のサポートや学習への動機付けに貢献しました。一方、アートセラピストは、アート表現に関する専門知識とファシリテーションスキルを活かし、表現を引き出し、対話を深める役割を担いました。この専門性の補完関係が、プロジェクトの成功に不可欠でした。
結果として、生徒たちは、異なる文化的背景を持つクラスメートの内面に触れ、表面的な違いを超えた共通の人間性や感情に気づくことができました。ある生徒からは「普段話さない子とも、作品を通じて気持ちが通じ合えた気がした」という感想が聞かれました。教員からは「生徒たちの間で、これまでになかった協力的な関係性や、お互いを思いやる発言が増えた」との報告がありました。
考察と今後の展望
「共感のパッチワーク・プロジェクト」は、アートがSEL教育、特に共感力の育成において強力なツールであることを実証する事例となりました。非言語的な表現手段と協働的な創作活動は、生徒が自身の内面と向き合い、他者の多様性を深く理解するためのユニークな機会を提供します。
本事例が示すように、学校教育とアート専門家との連携は、教育現場におけるSEL実践の可能性を大きく広げます。アートセラピストやワークショップファシリテーターは、表現を引き出す専門的な知識と、安全な対話の場を設計するスキルを提供できます。教育関係者は、生徒の特性や教育課程との整合性を確保することで、より効果的なプログラムの実現に貢献できます。
今後、このような実践事例がさらに増え、アートを通じたSEL教育が全国の教育現場に広がることで、次世代を担う子どもたちが、共感と思いやりをもって多様な社会を生き抜くための力を育むことが期待されます。