協働の立体:造形アートが育む高校生の自己肯定感と関係性スキル
SEL(Social Emotional Learning:社会的・情動的学習)教育は、自己認識、自己管理、社会的認識、関係性スキル、責任ある意思決定という5つの主要スキルを育成することを目指しています。特に思春期の高校生にとって、これらのスキルは自己形成や社会適応において極めて重要です。本記事では、造形アートを用いた協働プロジェクトが、高校生の自己肯定感と関係性スキルをどのように育むかについて、具体的な実践事例を交えながら考察します。
現代の高校生が抱える課題とSELの必要性
現代の高校生は、学業、進路選択、友人関係、そしてSNSといった多様なプレッシャーに直面しており、自己肯定感の低下や対人関係における困難さを感じやすい傾向にあります。このような状況において、自己の感情を認識し、適切に管理し、他者と建設的な関係を築くためのSELスキルは、彼らが健やかに成長し、社会で活躍するための基盤となります。アート活動、特に共同で取り組む造形アートは、非言語的な表現を通じてこれらのスキルを自然に育む強力なツールとなり得ます。
事例紹介:協働の立体 — 未来を創造するアートプロジェクト
プロジェクト概要と背景
〇〇県立未来創造高校では、生徒の自己肯定感の向上と多様な生徒が共存できる環境の醸成を目指し、アートNPO法人「アートブリッジ」と連携した「協働の立体:未来を創造するアートプロジェクト」を2022年度より実施しています。このプロジェクトは、共通のテーマに基づいた大規模な共同造形作品を制作することで、生徒たちが自己表現の喜びを感じ、他者との協働を通じて関係性スキルを深めることを目的としています。
プログラムの実施内容とアート専門家の役割
- 実施時期と対象: 毎週1回、放課後2時間のセッションを年間通して実施。高校1年生から3年生までの希望者20名が参加しました。
- テーマ設定: 毎年異なるテーマを設定し、生徒の主体的な参加を促しています。2022年度は「私たちの未来都市」、2023年度は「生命の循環」がテーマとなりました。
- 制作プロセス:
- アイデア出しとコンセプト共有: まず、テーマについて生徒が自由にイメージを膨らませ、グループごとにアイデアを共有します。アートNPOのファシリテーター(アートセラピストの資格を持つ)は、生徒一人ひとりの発言を尊重し、多様な意見が混じり合う場を形成します。
- 素材の選定と試作: 段ボール、粘土、廃材、布など、多様な素材を用いて各自またはグループで試作を行います。この段階で、素材の特性を理解し、表現の可能性を探ります。
- 役割分担と協働制作: 全体作品の完成に向けて、生徒たちは自らの得意なことや興味のある分野を考慮し、役割を分担します。大きな構造物の構築、細部の装飾、色彩設計など、各自が責任を持って担当することで、プロジェクトへの主体的な貢献意識が育まれます。ファシリテーターは、葛藤が生じた際には、対話を通じて解決を促し、協調性を引き出します。
- 振り返りと発表: 定期的に制作過程を振り返り、感じたことや気づきを共有する時間を設けます。最終的には、制作した作品を校内や地域の展覧会で発表し、来場者からのフィードバックを受ける機会を設けています。
アート専門家(ワークショップファシリテーター)は、単なる技術指導にとどまらず、生徒間のコミュニケーションの媒介役、感情表現の安全な場の提供者、そして困難に直面した際の心理的サポート役として機能します。彼らは非言語的な表現から生徒の感情や状態を読み取り、必要に応じて個別の対話や介入を行います。
SELスキル育成への効果と工夫
このプロジェクトを通じて、以下のSELスキルが効果的に育成されました。
- 自己認識(Self-Awareness): 自分のアイデアを形にする達成感や、他者からの肯定的な評価を通じて、自己の価値や能力を認識する機会が増えました。制作過程での「うまくいかない」経験も、自分の感情と向き合い、克服する力を養います。
- 自己管理(Self-Management): 共同作業における時間管理や計画性、困難な状況に直面した際の粘り強さや問題解決能力が向上しました。他者との協働では、自分の衝動をコントロールし、全体の目標に向けて貢献する姿勢が求められます。
- 社会的認識(Social Awareness): 異なる意見や表現方法を持つ他者の視点を理解し、尊重する力が育まれました。多様な背景を持つ生徒たちが協力することで、共感性や他者への配慮が自然と養われます。
- 関係性スキル(Relationship Skills): 共同制作は、まさに「関係性スキル」を育む実践の場です。コミュニケーション、協調性、葛藤解決、交渉、リーダーシップとフォロワーシップといったスキルが、具体的な活動を通して実践的に磨かれました。
- 責任ある意思決定(Responsible Decision-Making): 共同作品の一部として、素材の選択、デザインの決定、作業分担など、個人の選択が全体に影響を与えることを理解し、責任を持って意思決定を行う経験を積みました。
プロジェクトの工夫としては、定期的な「ふりかえり」セッションが挙げられます。ここでは、制作の進捗だけでなく、感情や人間関係の変化、困難だったこと、楽しかったことなどを自由に語り合います。これにより、生徒は自分の感情を言語化し、他者の感情を理解する機会を得ます。また、完成した作品を地域住民にも公開し、作品について語ることで、自己表現と社会とのつながりを実感できる機会を提供しています。
考察:なぜ造形アートが高校生のSELに有効なのか
造形アートが高校生のSELに有効である理由は複数あります。まず、非言語的な表現は、言葉では伝えにくい複雑な感情や思考を表現する安全な場を提供します。特に思春期の生徒にとっては、内面の葛藤を直接的に言葉にするのは難しい場合が多く、造形活動はそうした障壁を取り除く役割を果たします。
次に、共同制作は必然的に他者との協働を促します。共通の目標に向かって各自が役割を果たし、意見を調整し、困難を乗り越える過程は、関係性スキルと責任ある意思決定を実践的に学ぶ絶好の機会です。完成した作品は、生徒たちにとって共同で成し遂げた達成感と、自分たちが社会に貢献できたという自己効力感をもたらします。これは自己肯定感の向上に直結します。
アート専門家の存在も不可欠です。彼らは単なる技術指導者ではなく、生徒の心理状態を観察し、安全な場を確保しながら、感情の表出や対人関係の調整を支援する役割を担います。教育現場の教員だけではカバーしきれない心理的側面へのサポートは、プロジェクトの成功に大きく貢献しています。
まとめと今後の展望
「協働の立体:未来を創造するアートプロジェクト」は、造形アートという具体的な活動を通して、高校生の自己肯定感、関係性スキル、協調性を効果的に育む実践事例となりました。この事例は、アート専門家と教育現場が連携することで、生徒たちの社会的・情動的成長を多角的に支援できる可能性を示唆しています。
今後は、さらに多くの学校や地域コミュニティでこのような協働型アートプロジェクトが展開されることが期待されます。異なる背景を持つ生徒がアートを通じて繋がり、未来を共に創造する経験は、彼らが社会で生きていく上でかけがえのない財産となるでしょう。本事例が、教育関係者やアート専門家の方々にとって、新たなSEL教育実践へのヒントとなれば幸いです。